はせこうブログ

読んだ本、日常の体験から考えた内容を纏めていくブログです。宜しくお願いします。

昭和史 読了

昭和史というなかなかタフな本を読んでいました。タイトルの通り、昭和の始まりから終わりまでを上下2巻でまとめています。

平成世代の私にとって直前の歴史であるのにきちんと知らない部分が多く、今回改めて読んでみて色々勉強になりました。上巻が主に戦前から戦中、下巻が戦後なので「直近の歴史を知る」という意味では下巻だけでもオススメです。

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この何十年を振り返るという内容の報道特番を見ると必ず学生運動(闘争?)についての内容があり、「なんで昭和の人たちはこんなことやってたんだろう」と疑問に思う機会がありました。僕には武力行使で世間に訴えることは無謀であるとしか思えません。本書を読んで当時のロシア革命が人々に与えた影響を知り、僕らと当時の人々の間には「革命」に対する意識が相当違ったのだろうという、時代背景を理解できたのですが、それ以上に次の文章が心に刺さりました。

「大学の機能が再開されたのちも、少数の新左翼各派ー革マル社青同等は、つぎつぎに分裂しつつ、少数のままでセクト間の内ゲバ(暴力行為)を繰り返した。また社会的には、アメリカ海軍の空母エンタープライズの寄港阻止、成田空港建設反対、七〇年の安保条約自動延長反対などを叫んで、しばしば大規模な抗議行動に出て、該当にバリケードを作り、棍棒を振るい、火炎びんを投げて警官隊と衝突した。〜中略〜このようななんともやりきれないテロとリンチが連続して起こるようなグループを生み出したのは、この時期の社会が、経済中心、産業中心で、中年から若年のサラリーマンたちは、会社人間になる以外の選択がなくなっていたのを見た若い世代のいらだちがひとつの原因であろう。〜中略〜それが自分はそうはなりたくないと思う若い世代の「疎外」感をかきたて、初期のマルクスを思想的支柱とする革命に走らせたとみるのは、キレイごとにすぎるだろうか。」

 

僕たちの世代では大学卒業後の就業(会社人間化)はもうしかたないことと諦めて、「大学は人生の夏休み」と開き直り、卒業できる程度に勉強し、あとはできるだけ色々な経験を積むことが王道になっている感じがあります。僕らが遊んでいる間、彼らはまだ戦っていたのかと感じました。その後の結果を見る限り、結局は大多数が普通のサラリーマンじゃないかという気持ちもあります。ですが、最初からどうにもならないと考える僕らの世代は彼らに学ぶものもあるのかもしれません。

 

読書日記〜受刑者の出版について〜

「絶歌」への意見に対する考察〜受刑者の出版について〜

 

2015年6月11日、神戸連続児童殺傷事件の犯人である「元少年A」本人による著作「絶歌」が販売された。元少年A本人が事件から十数年経った今、当時の事件を振り返った内容の本を出版するということで世間の関心が強く、事件当時幼かった僕は、事件の内容を良く知らなかったが、読んでみようと思った。発売から暫く経った後、偶然本屋で絶歌を発見したので、購入しようと思い本を手に取ったところ、一緒にいた友人に「あ、その本買っちゃう人!?」と言われたのが、心に残った。友人曰く、元少年Aにせよ、出版元の太田出版にせよ、「元少年A」と名前を出すだけで一定の金儲けが見込め、それを購入することは事件をネタにした少年Aの金儲けに協力しているようなものという主張である。

 

友人の主張は世間一般でもある程度プレゼンスがある意見のようだ。僕は本当に伝えたいメッセージがあるのか、単なる金儲けかは、中身を読まなければ分からないと思い、購入・了読した。正直な感想として、少年Aが本書を書いた目的、メッセージはよく分からず、今となっては本当に金儲けがしたいだけだったかと思う。しかし、読む前に「受刑者が書いたものだから」という理由で本自体を否定するのは間違っていると今でも思う。出版に限らず、「犯罪者/受刑者だから」という理由でその人自身、またその人の行いを否定するのは全般的に間違っていると思う。

 

過去に犯罪を犯した経験のある筆者の本という意味では以下2冊を読んだことがある。

・ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく 著:堀江貴文

リクルート事件江副浩正の真実 著:江副浩正

どちらも事件発覚から逮捕・刑務所に入るまでの経緯について記載があるが、前者は基本的には少年時代から現在に至るまでの堀江氏の半生を振り返り、その体験から現在の堀江氏の信念・考え方がどう生まれたかについて述べられている。

 

後者はもっと事件そのものにフォーカスされており、リクルート事件が発生してから留置所での生活や取り調べの様子が事細かに記載されている。人が書いた本はどうしたって筆者のバイアスがかかるので、記載内容をそのまま信じるのは危険だが、それを考慮しても警察の取り調べの巧みさ、容疑者に自白を迫るシステムの秀逸さはすごいと感じさせる。「供述を拒むと長時間に亘って壁の目の前に立たせられる」というのは実際やられたらかなりのストレスだろう。

 

何が言いたいかというと、受刑者が本を出すことには上記の点からも意義深いことであり、加えて言えば、刑期を全うし、更生して(少なくともしたはずとして)社会に復帰した人に対し、過去の過ちをあげつらって避難するのは絶対に間違っているということである。よく「日本は一度失敗するとやり直しが効きにくい」と言われるが、友人の発言からもその雰囲気の端緒を感じた気がしたのでここに記録を残す。

 

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

 

 

 

リクルート事件・江副浩正の真実

リクルート事件・江副浩正の真実

 

 

 

※しかしながら、「絶歌」に関しては、筆者は元少年Aという当時報道に使用された呼称で出版しており、成人したにもかかわらず本名を明らかにしていない。この点で本名を明らかにし、そのデメリットを負ってでも何か発信したいメッセージがあるならともかく、元少年Aという肩書きのまま本名を明かさないくせに、今更本の出版をするのはおかしい、という指摘は尤もだと考える。

 

円高と円安


Yahoo!ニュース - <追加金融緩和>もろ刃の剣 株は週明け1万7000円台も (毎日新聞)

 

上記の記事を読んで、「おー、ますます円安になるのか」と悲しくなりました。海外旅行がますます高くなりますね…

読者コメントの欄を読んでも、「株価や高くなっても給料が上がるわけじゃない」、「生活がますます厳しくなる」等々、これ以上の円安には否定的なコメントが多かった印象です。個人的にもこれ以上の円安で喜ぶのか未だに工場の大部分が国内にあるメーカーのみかと思います。株価が上がってるのも円安のおかげで日本株が割安になっただけで、株価上昇=日本企業の評価が上がっているというわけではないと思います。

 

そう考えると今回の追加緩和措置は一体誰に対する利益になるのでしょうか。

個人的に最も恩恵をおけるのは、ますます株式市場にお金の流入があると予想できる点から、金融業界かと(偏見たっぷり?)。既にNISAで恩恵を受けているのに、この業界はマジで影響力が強い感じですね。頑張って、企業努力の結果「第三のビール」とか作り出した飲料業界は努力も虚しく増税されてしまうのに、この業界は手数料と預かったお金の運用だけでどんどん儲けていく…すごいなー。

他にはどんな人たちが恩恵を受けるのでしょうか?

上にも書きましたが、国内の製造業は恩恵を受ける可能性が高いと思います。しかし国内の製造業といっても為替変動で恩恵を受けるのは海外と直接取引する一部の会社だけで、多くの国内製造業者は国内の大手企業に製品を販売していると勝手に予想するので、彼らにはあまり利益が落ちないと思います。さらに大手製造業は恩恵を受けるといっても、為替による増益は企業の将来的な価値の上昇にはつながらないと思うんですよね…

 

今回の追加緩和ってなんのためにやるのかな…

モンゴル2013 その2

さて、本日はモンゴルで垣間見た環境問題について考えてみたいと思います。今回見学した環境問題は、鉱山開発による水資源の現象についてです。モンゴルには金鉱山があり、山岳部で金の開発が行われると、金の精錬のため大量の水が使われたり、一度開けた穴を塞がない環境配慮が少ない開発が多いため、下流の川が干上がってしまうという事態になります。非常に分かりにくい写真で申し訳ないですが、以下の写真をご覧下さい。

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この写真の真ん中の部分に青い部分が見えると思います。実はこの写真の中央部分にはずっと川が流れているのですが、青い部分のすぐ下で、鉱山開発のために水がせき止められています。その結果青くなっている所に水がたまっています。このように川がせき止められる事態が頻発した結果、たった五年で琵琶湖と同じくらいの大きさの湖が干上がってしまいました。その結果緑が失われ、家畜が減ったり、砂漠化がいっそう進行したりとたくさんの環境問題が引き起こされました。

 

 

モンゴルは1990年に社会主義から民主主義に変わっています。社会主義から民主主義に変わるということは良いことのように感じられますが、鉱山開発だけに焦点をあてて考えれば、そうとも言えなかったようです。社会主義の時代、独裁体制を保っていたモンゴル人民革命党は鉱山開発の結果、遊牧民の生活が脅かされているという事態に対し、直ちに鉱山開発を全面禁止するという対応を行ったそうです。しかし、民主主義に変わった後は、政治家への賄賂や違法採掘が活発になってしまいました。その結果、川と湖が干上がってしまったという訳です。現在、鉱山の採掘を行っているのはロシアやウクライナの企業が多いということですが、発掘された金の行き先は全て分かっている訳ではなく、日本にも流れ込んでいるかもしれないとのこと。この光景を見せながら、教授は違法な資源採掘の現状や資本主義の限界ということについて話してくれました。鉱山開発は開発が終わったあと、掘った穴をきちんと埋めればもっと環境への負荷を少なくできるということです。しかし、それにはお金がかかるため、穴はほったらかしにされます。そのため下流に住む人々の生活は脅かされていきます。

 

私は社会主義が素晴らしいと思っているわけではないし、資本主義をけっこう気に入っている人間ですが、同時に、現在の世界のシステムはそう長く続かないだろうな、とも思っています。例えば原子力発電、原子力発電を行うと、核廃棄物が生まれるわけですが、この核廃棄物から放射能が消えるのには約10万年かかるということです。イエス・キリストが生まれてからまだ2000年しか経っていないのに、世界は激変しました。一体誰が10万年後の世界を予測できるのでしょうか?「10万年」という単位は非常に怪しい言葉です。人間は往々にして数が大きくなりすぎると、意味不明になって思考停止する癖があるように思います。収入が月10万円なのに、支出が月20万円の生活は維持できるわけがありません。しかしながら、収入が年間で約45兆円なのに、支出が約90兆円という国は、なぜか維持できるような気がするから不思議です。きっと自分には理解できない何らかの要素が働くので、これでも大丈夫だと、ついつい思ってしまい、そこから先は考えなくなります。10万年後の世界もよくわからないし、考えてもしょうがない気がするので何もしないのです。

 

 

しかしそれが立派な態度かと言われれば違う気がします。僕たちは僕たちにできる限界で未来に対して責任を負う必要があると思います。その意味では小泉元首相が原発ゼロを唱え始めた理由も少しは理解できます。日本にいると環境問題について考える機会は少ないですが、私たちは目を背けることなく、しっかりと未来に対する責任を全うしていかなければならないと思います。

モンゴル2013 その1

先月、二年ぶりにモンゴルへ行ってきました。星槎大学の坪内教授が開催するモンゴルの生活を体験し、環境問題を学ぶツアーでした。まずモンゴルに到着するとウランバートルの発展具合にビックリします。モンゴルといえば「一面の草原」というイメージを持っている人も多いと思いますが、ウランバートルには高層ビルや大型ショッピングモールがたくさんあり、盆地のため車の排気ガスでドンヨリしています。私たちは車で7時間かけ、田舎の方の、遊牧生活をしている人がいる地域まで行き、ホームステイをさせてもらいました。

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モンゴルの朝焼けとラクダです。

田舎に行くと一面の草原があり、まだまだモンゴルの草原は多いのだと安心します。

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モンゴルのゲルキャンプです。

この写真を見ると、アンテナとその奥に太陽光電池があることが分かります。実はモンゴルのゴビ砂漠は電波の受信ができ、太陽光発電でバッテリーを充電し、キャンプの中ではテレビを見ることもできます。またゴビ砂漠一帯で携帯の電波が入ります。モンゴルもどんどん近代化しています。

モンゴルという言葉を聞くと、やはりこのような遊牧民を思い浮かべる人が多いと思いますが、実はこの遊牧スタイルの生活をする人はだんだん減ってきているという話です。経済的理由と政治的理由があり、経済的な面としては、家畜を担保に借金をしている人が多いので、厳しい気候や病気などで家畜を大量に失ってしまうと生活を維持できなくなってしまうということです。政治的理由としては遊牧生活を続けられると、税金の徴収ができないため政府は固定の家に住む生活スタイルを推奨しているということです。今後遊牧民が減っていくことは避けられないだろうということです。

遊牧の生活は大変です。子供のうちから働かないといけないし、土日の休みもありません。遊牧民の子供は冬だけ学校に行き、夏は親の手伝いをしながら過ごすそうですが、それでは都市部の一年を通じて学校に行く子供とそうでない子供の間で学力的な差が生じる懸念はないでしょうか?もしそういった子供が成長した時、なんらかの理由で遊牧生活を止めなければならなくなった時、働く先は見つかるのでしょうか。もし「遊牧生活は都市部の生活より魅力的か」と問われれば、私は都市部の生活の方が好きです。もちろん遊牧生活の素晴らしさもあると思いますが、娯楽や生活の大変さを考えれば都市部のほうがいいんじゃないかな、と思ってしまいます。モンゴルでも日本と同じように田舎の子供は都会にどんどん出て行く傾向にあるそうです。遊牧生活は良くないと言っているわけではありません。遊牧生活を行うモンゴル人にはモンゴル人としてのプライドを強く感じ、自分たちの伝統的な生き方を貫いていくという気合いを感じます。ただ、人生の選択は個人個人に権利があり、遊牧生活から都市型へ、都市型から遊牧への移動は本人の意思で決められるようになればいいと思います。

 

またモンゴルにいくと否が応でも思い知らされることが一つあります。それは私たち人間は動物の命を奪って生きているということです。「何を当たり前のことを?」と思う方も多いと思いますが、一生日本で生きている人のうちの何割が生き物を殺して、自分が食べる肉を得ているでしょうか?私は小学生の時、初めて生きている魚を殺して、捌いたときに複雑な気持ちになったことを覚えています。今回はヤギでした。ほ乳類になると魚よりも大きいし、何より、暖かいものが冷たくなるので、「生きているものを殺した」という感覚が魚よりずっと大きいです。この経験を通じて今一度私は「人間は生き物を殺して、食べて、生きている」と強く実感しました。

以下写真ですがちょっとグロテスク系かもしれないので見たくない人はご遠慮ください。

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モンゴルでの生活では人間は本来どのように生きているかを改めて思い知りました。

次回はモンゴルでの環境問題を考えてみたいと思います。

恋とセックスで幸せになる秘密、了読

仁村ヒトシ氏の著書、「恋とセックスで幸せになる秘密」と読み終えました。ボクは同氏の「全てはモテるためである」という本も読みました。この二冊について、題名だけ見るとセックスの指導書や恋のテクニック本に見えますが、この二冊はそういった本ではなくかなり本質的な内容が書いてあります。ぜひ読んでみて下さい。

 

恋と愛

一番考えたのが「恋とは『欲望』です。愛するということは『相手を認める』ということです。」という文章でした。相手に何かを要求するのではなく、ありのままの相手を認めるということなのですが、これはなかなか難しいと思いました。基本的に人と付き合っていると相手にどんどん要求をしてしまいます。相手が自分の望むように行動してくれないことが気に食わなくなり、くだらないことで相手に当たってしまったりします。相手のことが好きなのですが、どんどん追加要求をしてしまう。「『愛されたい』ということは『君は、今の君のままで、いいんだよ』と肯定されたい」と書かれていました。全くその通りだと思います。しかし自分のことは「そのままの自分」を認めてほしいのに、相手についてはそれを認められない。恋愛とは「恋」と「愛」で出来ているように相手から自分には「愛」を求めるのに、自分から相手にはいつまでも「恋」をしていて愛してあげることができない。

 

 

本当に難しいです。

one to one

先日初めてアップルのパソコンを買いました。そこでこれ本当に必要かな?と思いつつも接客係の外人のお兄さんにごり押しされてアップルのone to oneというマックのパソコンやiPhoneなどのハードや、PagesやKeynoteなどのアプリケーションの使い方を教えてくれるサービスに加入しました。せっかく申し込んだのに使わないのはもったいないので、本日初めて行ってきました。

 

初、アップル銀座店

学校が渋谷にある関係でパソコンは渋谷で買いましたが、銀座店の方が色々なクラスを開催しているので銀座まで行きました。

帰りに撮影したので夜になっていますが、こんな感じ。

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レッスンは四階でやっています。

レッスンのフロアはこんな感じ。

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プライベートレッスン、グループレッスン、オープンセッションの三つがあり僕は今回はグループレッスンに参加しました。一つの机に生徒七人とアップルの社員が一人でした。今回はマックのコツとヒントというマックのOSの基本的な扱い方について学びました。体験して思ったのはこういう基本的な講座って結構大切だなということです。教えてもらったのは本当に知っていれば便利ですが、知らなくても大丈夫なことです。しかし、小さな小技でもずっと使い続ければかなりの時間を節約できるのではないかと思います。マックの良いところはこういう講座を自分たちで開催しているところですね。知らないだけで実際にはウィンドウズにも今日教わったような便利なコマンドはたくさんあると思います。しかし教えてもらう機会がないので知らないだけでしょう。やっぱりユーザーの囲い込みという点ではアップルはすごいと思います。

 

ちなみに、アップル銀座店には二台のエレベーターがありますが、このエレベーターは自動で運転されていて、ボタンはありません。知らなかったのでどうやって四階に行けばいいか困惑してしまいました。

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ボタンのないエレベーター。

 

アップルは確かにいいけど

初めてアップルのパソコンを使ってみましたが、確かに多くの人が高く費用かするだけあって使いやすいパソコンだと思います。しかしながら、スティーブ・ジョブスのやり方には少し疑問を感じます。かつてウィンドウズがインターネットエクスプローラーしか使えなかった時、ジョブスはウィンドウズの囲い込みについて散々避難していたのに、アップルではかつてのウィンドウズよりもずっと強力な囲い込みをしていると思うからです。どうなんですかね、このやり方は?ハッキリ言って僕はあまり好きではないです。そして時代遅れだとも思っています。クラウドコンピューティングが盛んになってきた今、アップルのサービスはハードにこだわらないグーグルよりも遅れてしまっていると思います。iCloudはアップルのデバイス間でしか役立たないし。スティーブ・ジョブスのカリスマ性が無くなったこの先、果たしてアップルはどうなるのかな。