はせこうブログ

読んだ本、日常の体験から考えた内容を纏めていくブログです。宜しくお願いします。

「竜馬がゆく」、読破

 最近読み続けていた「竜馬がゆく」(全八巻)をついに読破しました。いやー、長かった。この手の歴史小説にはなかなか手を付けずじまいでしたが、読んでみるとかなり面白かったです。また日本の歴史に対する自身の無知も実感し、もっと色々な本を読もうと思いました。

 

 読んでいて考えさせられたのは、竜馬の基本的な態度である「ここぞという場面でしか議論はしない」という姿勢です。作中での竜馬は思想や思念については基本的に話し合っても互いにいやな思いをするだけなのでここぞという場面でしか議論をしません。また議論に勝ったところで相手から無用な恨みえを買うだけと考えています。

 

 最近は議論(ディベート)が非常に重要視されており、なにかと「議論」が行われます。しかし話し合いをしたからといってお互いに納得に至るケースというのはどの程度あるのでしょうか?僕の経験では、ほとんどの場合、お互いに言いたいことだけ言って、同意には至れずに終わることがほとんどです。しかも議論は片方が片方の考えを諦めさせることがゴールと考えることもでき、それが本当に必要だとは思えない場合をよくあります。ビジネスの場などどうしても意見を通したい場合はともかく、一般生活の中の議論はほとんど意味ない気がします。(ビジネスの場においてもほとんどは議論の内容など関係なく、初めから結論は決まっているような気がしますが。)

 

 僕はどちらかというと議論が好きで、結構人に議論を吹っ掛けるようなところがあるのですが、この本を読んでいて反省しました。正直、幕末の風雲よりもなによりもこの議論に対するスタンスが学びになったと感じています。この竜馬の考え方を学習しながら、平田オリザさんの著書である「分かりあえないことから」という本のことを思い出しました。話し合って分かりあうことの限界を示していた本だったと記憶しています。確かに論理的に議論する能力は大切だし、重要ですが、それがすべてとい言うわけでもないと思います。

 

 一方で現実社会で生きていくにはある程度人を説得することも重要だと思います。議論というような「対立の姿勢」ではないやり方で人の考えに影響を与えるにはどのようにしたらいいのか試行錯誤する必要があると感じました。

 

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

 

そんな感じ。