はせこうブログ

読んだ本、日常の体験から考えた内容を纏めていくブログです。宜しくお願いします。

法か善か

「レ・ミセラブル」を見てきました。上映中全編に渡って流れる音楽も素敵ながら、内容もかなり面白いものでした。僕は個人的に主人公ジャン・ヴァルジャンよりも彼を執拗に追いかけていくジャヴェールという男の行動が気になりました。主人公ジャン・ヴァルジャンはパンを盗んだ罪で囚われ、過酷な仕打ちにより世の中への憎しみを募らせますが、神父の言葉によって悔い改めます。ジャン・ヴァルジャンという名前も捨て、「善の人」として新しい人生を歩み始めます。しかしそれを許さないのがジャヴェールです。彼はヴァルジャンを追いかけ続けます。しかし革命をめぐる戦闘の中でヴァルジャンはジャヴェールの命を救います。さらに戦闘による大量の亡骸を見たジャヴェールはそれまで自分が信じていた方程式「法=正しい。法を順守する自分=正しい存在」に疑問を抱きます。そしてとうとう「正しいのは法か善か」と言い残し橋から身を投げます。

 

ジャヴェールの言葉である「正しいのは法か善か」という言葉はいろいろ考える価値ある言葉だと思いました。法と善、どちらがより重要なのでしょうか?基本的に全ての人間が善行のみ行うとすれば法は不要です。しかしそうはならないので、問題の発生を避ける&解決のツールとして法があるわけです。ということは、全ての人間が善なら問題ないが、それは望むべくもないので、全ての人間に法を守らせることで妥協しよう、という結論になると思います。そして、それならば善は法より根源的に重要であると言えそうです。



さてここからは現代にもあてはめて考えたいと思います。ある死刑囚がいるとして、彼は獄中で心の底から改心し、人々のために生きたいと思っています。彼を死刑に処すのが適当か、釈放し、一人でも多くの人のために生きて行かせることが適当か、どちらがより良いでしょうか?僕個人は後者の考え方をしています。もちろん現実の社会において囚人が本当に改心しているかどうかの見極めは簡単ではありませんが、しかしできるものなら改心した囚人は判決に囚われず釈放すべきだと思います。

 

と、映画を見ながら思いました。